ニッポンの頭痛を治して、世の中を笑顔にします!
一生懸命な人を応援する頭痛治療家
院 長 小原 毅
(オバラ ツヨシ)
ニックネーム バラやん先生
※気軽に「バラやん先生」
と呼んでください
職 業 頭痛治療家(元営業マン)
誕生日 4月17日
血液型 O型
性 格 真面目で頑張り屋の
照れ屋さん
(最近、歳のせいか涙もろい...)
得意な事 日だまりショットで
頭痛を治す事!
弱 点 トマトジュース
目 標 日本一の頭痛治療家
ヒーローになる!
愛知県春日井市生まれ、春日井育ち。
春日井高校卒業後、名城大学へ。
明確な夢がなかった僕の大学時代は、車を買うお金欲しさにバイトに明け暮れた4年間でした。
いくつものバイト先でたくさんの人と出会い、いろんな経験をするうちに、人との「ご縁」に喜びを感じる様になりました。
大学卒業後はIT企業に就職、一度の転職を経て25年間、営業マンのプロフェッショナルを目指し続けました。
そして極め続けた結果
僕は壊れました...
流れ作業の様な毎日を生きるうちに
師匠と運命的に出会い
頭痛治療家の道へ...。
僕は「人が大好きです!」
僕が大切にしているモノ
それは「人を喜ばせる」ことです。
人が喜んでくれている顔を見る事が
大好きなんです!
そして今の僕があるのは
たくさんの人との出会いのおかげです。
だから「ご縁」を大切にしています。
なのでこれからも素敵なご縁を信じて
僕は生きていきます。
でも...
こんな僕になったのは
人生を左右する事件と絶望の歴史があったからです。
【3才 大やけど事件】
3才の時
重度の大やけどを負い
命を落としかけました。
当時の記憶はほとんどありませんが
両親の献身的な看護のおかげで
大きな傷跡も残らず
今を生きる事が出来ています。
遠くの病院まで何度もおぶって行ってくれた母親の背中の暖かさだけは
今もかすかに覚えています。
「お母さんありがとう!」
【人生に絶望事件】
就職した1年目に
大きな病気をしました。
お医者さんから
一生治らない病気だと言われた瞬間
目の前が真っ暗になりました。
そんな当時の
絶望の僕を支えてくれたのは
暖かい家族と仲間でした。
今も元気に生活出来ているのは
みんなのおかげです。
「支えてくれて、ありがとう!」
【アラフォー生還事件】
30代の終わりに
アナフィラキシーショックを
体験しました。
突然目の前を「バン!」と閉ざされ
真っ暗な闇の淵を
見に行ってしまいました。
ドクターと看護師さん達の必死の治療と駆けつけてくれた家族のみんなが呼び戻してくれたおかげで命の灯をつなぐ事ができました。
「親よりも先に逝くなんて、親不孝をするな!」
と両親からはたいそう叱られましたが
たくさんの人の想いをもらって
生還する事ができました。
「命の恩人のみなさん、
ありがとう 感謝です!」
いろんな出来事がありましたが
僕のまわりには、いつもたくさんの
「笑顔」がありました。
支えてくれた人への感謝の気持ちが、
「人を喜ばせたい」
「ご縁を大切にしたい」
と思う僕になった
ルーツだと思います...
売上180%の
営業マンが
頭痛治療家になった理由
僕は頭痛治療家になる前、
世間で『営業マン』と呼ばれる
サラリーマンでした。
学生時代バイトに明け暮れ具体的な夢がなかった僕は、「人を喜ばせたい」という思いだけで営業マンを目指し、IT関連の大手企業に就職しました。
営業マンとしてデビューした
僕のサラリーマン人生のスタートは順風満帆でした。
その後
結婚して長女が誕生した社会人5年目を迎えた時
僕の目の前に「転勤」の辞令がおりてきました。
「知り合いも誰もいない場所で、子育てしていく自信がない...」
相談した妻にそう言われた僕は、
「出世の為に単身赴任するか」
「辞令を断って会社を辞めるか」
の人生の選択に悩みました。
『子供の成長も見守れず、家族と一緒に同じ時間を生きていけない人生なんて絶対にイヤだ!』
そう思い決断した僕は、地元の中小企業に転職し、営業マン人生を再スタートさせました。
自分の「運」と「ご縁」を信じて2倍も3倍も努力した僕は、お客様との出会いと好成績に恵まれ続けました。
そして
いつしか多方面からお誘いを頂けるまでの営業マンに成長する事ができたのです。
沢山のお客様の喜んだ笑顔に囲まれ、
「こんなに楽しくて素晴らしい営業の仕事は、自分の天職だ!」
その時の僕は、そう信じていました...
営業マンの頃
順調に成果を挙げ続けていく毎日の中で、僕はだんだんと息苦しく居心地の悪さを感じる様になっていきました。
「達成感」「お金」「時間」「心」「夢」...
仕事と時間に追われる中で、
『自分は何の為に働くのか?』
僕は目的を見失い、自分への信頼と期待に応える為の責任感だけで、数字を上げる事だけを目的に仕事をする様になっていきました...
そんな僕の好調の波はとどまることがなく、
とうとう売上180%という
驚異的な数字を打ち立ててしまうのでした。
しかし、それは同時に
僕自身の崩壊の始まりでした...
「お客様の喜ぶ顔を見たい!」
その一心だけで
営業マンとして走り続けた僕でしたが
成果を挙げれば挙げ続ける程、膨大な仕事と時間に追いかけ回され...
ついには周回遅れの様な毎日に追い込まれて行きました。
「人を喜ばせる事」が
大好きだったはずの僕は「仕事」と「時間」と「責任感」に占領され
いつしか仕事を処理するだけの
ロボットになっていきました。
そして限界まで追い込まれた時
僕は壊れました...
それまで生きてきた人生の中で
一番ツライ瞬間でした。
「 もうこれ以上は無理だ、
ツライ... 楽になりたい」
営業車でハイウェイを運転中だった、ハンドルを握る僕の手に力が入った瞬間、家族の顔が浮かびました...
滑り出る様にインターチェンジを降りた
僕の心のスイッチはOFFになり
全身の力は抜け落ちていきました...
その後も、
僕のあいかわらずの日々は容赦無く続き、流れ作業の様な毎日の中で...
笑わなくなった
『偏頭痛』の僕が
ポツンといました。
僕は出口の見つからないトンネルの中をさまよう様に「人生の終わり方」を探し続ける様になりました。
そしてしばらく月日が流れたある時、ついに運命の入り口にたどり着く日がやって来たのです...
それは
出張先で立ち寄ったカフェでの出来事でした。
スマートフォンの開いた画面の中に、
人生の終わりではなく
「本当の人生の始まり」
の扉を開ける鍵を見つけたのです!
それが、僕の運命を変える『師匠』との出会いでした。
運命のとあるカフェ
それは、8月の天気のいい暑い日の出来事でした。
運命の扉を開けた僕の目の前には、
『師匠』がギターを持って歌いながら現れました...
そんなにも眩しく目を輝かせて生きている人は、僕のまわりにはずっといませんでした。
そして熱く語りかけてくれました。
“太陽の様な愛で
頭痛の人を救っていこう”
“おもしろい世の中にしよう”
“勢旬(せいしゅん)時代を生きよう”
僕は思いました
「もう一度、勢いのある人生を
楽しく生きたい!」
「納得できない何か」に悩み、「どう生きたらいいか?」がわからず、もがき続けて来た僕が、ようやくたどり着いた『答え 』でした。
「人を喜ばせる事」と「ご縁」を大切にして生きて来た僕は
頭痛治療家という天職に、出会う事ができました。
自分らしい生き方を見つけた僕は
頭痛治療家になり
「一生懸命頑張っている沢山の頭痛患者さんを応援して笑顔にする」
という目標を持ちました。
頭痛治療を学ぶ事で
仕事人間だったサラリーマン時代の自分を見つめ直し「頭痛治療家」になった僕は、本当の自分の人生を見つける事ができたのです。
そして気がついた時には
僕の偏頭痛も消えていました!!
師匠とバラやん先生
頭痛治療の修行風景
今も頭痛で悩んでいる
あなたへ
『頭痛』=『人生』です。
頭痛は心優しいあなたが
真面目に一生懸命
頑張ってきた歴史です。
「納得いかない何か」
「うまく生きられない悔しさや苦しさ」のサインです。
頭痛で悩んでいるあなたの長年の頭痛がとれて「あなたらしく生きられる毎日」と「笑顔の未来」を手に入れてもらえる事を応援します!
名古屋あたまとこころの整体
院長 小原 毅
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